半端に寝て眠れなくなった

初日仕事から戻って来て、夕食後に作業したらそのまま寝落ちました
おかげで今ごろ寝れなくなってる・・・
二日目にして仕事の危機か(汗
 
一応IT課というぱっと見かっこいい名前の部署へ入りましたが
なによりも引継ぎ内容が業務日誌一冊のみというかっこよさ
しかも半年ほど前で停滞してるし・・・
一応もう一人同じ課の人はいますが、一ヶ月ほど前に途中入社して
とりあえずどーしよー状態だそうな・・・w
まあ現存のPCリストやらネットワーク図やら基本的なところから
資料化していくかな
の、前に早く仕事用PCくれ(汗
 
脈絡もなくいきなり話をすっとばすが
ジョハリの窓」をご存知の方はいるだろうか
正方形を4つに区切って分ける図が窓に見えることからそう呼ばれるのだが
自分自身を大きく4つに分けて意識するもの
やはりこれを基にした悩みは多いもよう
この窓で分類される4つは
 
1、自分も他人もわかっている部分
2、自分のみわかっていて他人の知らない部分
3、自分がわかっておらず他人のみが知っている部分
4、自分も他人もわかっていない部分
 
悩みで多いのは2と3の差分になる
 
私は理解されない人なんだ・・・と陥る場合は
2に対する意識が強すぎるパターン
一人でいる時や周りに知り合いがいない時などはこの部分
コンプレックスの意識、隠し事なんかもここに入るのではなかろうか
相手に対して理解を求める人はこの部分を非常に嫌がる
1から10まで自分を理解してもらおうと願っているのだろうが、それは非常に困難だと思う
アピール上手になれば多少は埋まるのだろうけど、完全にはならない
むしろこの部分は自分の聖域として取っておくのが良いと私は思う
現に自分の世界を持っている人なんかはこの部分を非常に大切にする
たとえコンプレックスであったとしてもそれを教訓にして今に生かせるのであれば
2の枠に大切にしまっておくのも悪くないと思っている
 
そして逆にこれは私の本当の姿じゃない!というのは
3の意識が低い場合(2の意識とも連動しますが)
人間面白いことに、「貴方は○○な人です」と言われるとその通りに行動してしまう傾向がある
単純に言葉で言うと反発される場合もあるが、お膳立てをして馬子にも衣装にしてしまうと
案外それに沿った立ち居振舞いができてしまったりする
過去の実験に無作為に選んだ21人を10人の囚人と11人の看守に分けて
数日刑務所ごっこをやらせた記録がある
21人はそれまで正常な人間だったにも関わらず、看守にはサディスティックな傾向が
囚人に至っては精神的に混乱してしまった
無論、看守にはミラータイプの黒メガネや警棒、制服をつけ
囚人はいきなり自宅や街頭で実験対象者を捕まえて連行、指紋搾取や手錠かけなど
リアルに行っていった結果である
これは極端な例だが、相手からの影響で今までにない自分の部分が作られることは
往々にしてありえることだと思う
これを自分じゃない、と否定するよりも新たな自分の一面として受け入れる方が
私はいいのではないかと思う
(受け入れる、認識することで3から1へ移行する)
人との出会いは自分を広げる、などと言うのはこの部分から来ている一面もあると思う
 
ただ新しい自分の面が時として今までの自分と矛盾することがある
そのために悩むことがあると思うが、これは一言で矛盾していいと思う
矛盾したがらないのは単純化してわかりやすくしたいからであって
人間が矛盾してはならない、という理由は決してどこにもない
子供が悪びれた場合に学校教育と家庭教育のどちらが悪いかと論じていることがよくあるが
学校は学校の教育、家庭は家庭の教育で良いと私は思う
結果両者が矛盾していてもその矛盾から子供は何かを学ぶと読んだことがあるからだ
そういう意味でも矛盾したからと無理に整合させるよりは
いっそ矛盾したままやっていけば何か見えてくるのではないだろうか
 
私はAB型なせいか支離滅裂に陥ることは少なからずある
昨日と今日でやってることを平然と変えたりもする
「石の上にも三年」を唱える方には聞き捨てならないだろうが
時間が経てば状況が変わるのだからその時々に応じて効果的な方法を取る、というのが私の流儀
剛直なやり方が悪いわけではないし、その方がいい場合もあるが私には合わないのだ
この柔軟性を維持する意味でも矛盾推奨を唱えてみたいと思う
ただ、平然と変える場合でもその理由くらいは明確に答えられるようにはしているつもり