お仕事お仕事

帰り道にピカピカのスーツに身を包んだ人の列が
定期売り場を埋めていました
初々しいなあと目を細めつつ
社会人の先輩として通路を開けるマナーを叩き込みたい衝動に駆られました


まあそれは冗談としても実際働き始めたらどう変わって行くのかななんて
余計な心配もしてみたりする
たまたま私の周りだけかもしれないが、なんだかんだと苦労してる人は多い
環境が悪いのか、言ってるその人自身が文句や愚痴が多いだけなのかは定かではないが・・・


そうやって周囲を見渡した後、自分をふと振り返り何のために働いているのかと
自問自答したとき、一言に集約するならやはり「生きるため」に尽きる
ストレートに稼ぎがなければ餓死するというのもあるが
シンプルに仕事をやり遂げた実感で生きているというのもある
仕事をしたことで喜んでくれる人がいるであるとか
一面に埋まったタスクリストが綺麗に片付いたときであるとか
自分の関わったものが街に溶け込んで使われているときであるとか
そんなことが楽しくて私は仕事をしているのだと思う*1


もちろんやるせないことだってある
喜んでもらえなかったことだってあるし
くだらない横槍でタスクリストが片付かないこともあるし
折角作った物も使われることなくお蔵入りしてしまうこともある
差し引きすればやるせないことの方が多いとは思っている


ひとつの考え方ではあるが
この世に楽しいと決まっていることは何一つとしてないのである
どんなに面白い映画だっていくらでもつまらなく見ることはできるのだから
決して消えることのない負であると思う
同時にこの世につまらないと決まっていることは何一つとしてないのである
あるのは目の前のことを楽しく感じる自分とつまらなく感じる自分だけだと思う


だから自分の中にある「期待」を変えてしまう
金を見つけるために土を掘るのではなく
土を掘るために土を掘り、その中で金を見つける
真珠を見つけるために海に潜るのではなく
潜ることを楽しみながら海に潜り、真珠を見つけるのである


無意味な書類を山ほど書かされているなら
無意味な書類の価値を見出すために書いていると思えば少なくとも書く意味は見出せる
その上で改めて無意味と感じたなら、"なぜ無意味なのか"を考える前よりも
明確に示せるようになると思う
そうすれば書きあがった書類自体は無意味でも
せっせと書いた行為そのものは全く以って無意味ではない


こんなことを考えているうちに仕事を苦痛と感じることはなくなった
まあ万能な考え方ではないけれども、自分の中での落とし所にはなっている

*1:出すものは出せとは言いますが