Webフィルタリングは荒目の網をかければ良い

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0804/25/news139.html
「青少年インターネット規制法案」の成立が現実味を帯びた辺りから
フィルタフィルタの話が騒がしくなってきましたな。


「健全な青少年に有害な情報は見せるべきではない」「規制規制ではインターネットが死ぬ」
「Webで未成年犯罪が増えているという統計はない」などなど見てきているのですが
どっちも言ってることは正しいんですよね。全てを正しいと言えないまでも。


じゃあ、どーすんのさって思ったら私はこの日記のタイトルどおりに
「Webフィルタリングは荒目の網をかければ良い」で良いと思うのですよ。


まずフィルタをするという意図である青少年を守るという趣旨は否定するところではないと思う。
その理屈でフィルタのするしないでは、する方になる。
しかし現在の技術と現状のインターネットで全ての有害情報を100%シャットアウトすることは不可能だろう。
また、それを目指せば有害ではない情報もフィルタされてしまうから
「規制規制ではインターネットが死ぬ」という話になる。


じゃあなぜ荒目の網なのかと言えば、ある程度の有害情報が見えてしまうことを許容するのである。
どちらかと言えば有害情報をきっちりフィルタするのではなく、有害でない情報がフィルタされないことに重点を
置くように設定をするのである。


それじゃ有害情報がこぼれるから解決しない、というのはいささか短絡的な結論と言わせてもらう。
ルールは禁止事項を定めてそれを強制させる使い方と、禁止事項は黙認するけどうちは責任取らないよという
どちらの使い方もできるのである。


即ち、「大人の姿勢としてこういった物は禁止です」というスタンスの提示を具体化するためにフィルタするのである。
が、完全にフィルタできるわけでない。しかし大人の立場としてこういう物は見て欲しくないんですよと言える。


有害情報をありとあらゆる手段を用いて大人がフィルタしようとするより
まずは子供に対してそういう姿勢を見せるで良いのではないでしょうか。後はどーんと構えていれば良い。
そうすればなぜ大人がこれらをフィルタしようとしたのかを、子供はフィルタの隙間を抜けた先で
学ぶことにもなるのではないかと。


大人が禁止するから子供には絶対それをさせないという支配的なやり方より、
禁止は禁止、でもなぜしちゃいけないのかを理解することが大事と思う。
それを学ぶためにフィルタの隙間をくぐらせることも大事なんじゃないかなあ。


私は良い大人じゃないかもしれませんね。