会社は泥になっても拾ってくれない

http://www.atmarkit.co.jp/news/200805/28/ipa.html
http://d.hatena.ne.jp/skerenmi/20080528/1211984656


結果だけ見ればわずか3年で会社から飛び出した私が来ましたよ。実際はブランクあるのでもっと短いのですが。


会社と業務契約の元に生計を立てている身から見て、やっぱりこういう会社側の理屈って向こうの都合なんですよ。
私は私の労働力を売って対価を得ている身であるため、本来の役割と違うことを求められた場合、都度対価を求めることができます。
(というより対価求めないと食っていけないんで)
まあ実際にはそんな単純な話じゃなくて、対価交渉を求めることで仕事量が増えすぎないようにの調整かけたり、
少し長いスパンで見て、ここはサービスしとくから、今度の時には色つけてねなんてこともあります。


実際@ITの記事でパネラで出てきている人たちってやっぱり泥のように働いて、徐々に役職と対価もらってきたと思うんですよ。
でもそれは年功序列が成立している前提なのですね。
全ての企業がそうだとは言わないけど、年功序列の帳尻合わせでむやみに管理者・役職者ばかりが揃ってて
実働員が足りてない場所って多いんですよ。
ひどいところだと主任以上の課長とかはずらずらいるのに、平社員が一人しかいなくて、その一人が使い潰されるように働いてることもあったりするんです。


私は幸いにも(?)そのような状況に追い込まれることなく現状に至っているけども、そういう状況をおかしいと思うし
その彼らに対して一律10年は我慢だと説いたところで、10年後の彼らに何を保証してやれるだろう?
もしその平社員が課長になれたとしても、その上に有り余るくらいの部長格が残っているのが現実ではないか?と思うのです。


社会人としての人生が保証された道を歩いてきた人たちにとって、会社のキャリアとは人生をかけた計画になる。
だから10年というスパンは当然なのかもしれない。しかしそれが保証されてない人に同じ物を求めるのは筋違いでしかないと思うわけです。


時代が変わったなんていうとすごく安っぽく聞こえるけど、パネラの人たちが味わってきたものと今の若者が味わっているものは決して同じではないと思う。
経験を積めば積むほど、自分を否定するのが怖くなって、その変化を遠ざけようとしたがる。だから今がわからなくなる。
滅私奉公への対価は将来を含めても返ってこないと誰もが今気づいている。
雲上の人はそれが見えてないか、気づいていないか、そうであって欲しくないと現実から目を背けているんじゃないだろうか。


>「忙しいから聞きに来いという人に会社や社員がコントロールできるのか」
有効な情報が席に座ってるだけで上がってくれば理想ですねえ・・・。私は拾いに行ってるんですけど。
そして必要そうな場所にその情報を渡すし、またもらうこともある。(ベコの人にはその辺り大変お世話になってるが)
この一言は色々含んでるように解釈できるのですが、パネラの人にはどう伝わったのか気になるところですね。


会社のために社員が居る。じゃあ会社はなんのためにあるの?会社とは社員にとって何なの?
そんな素朴な疑問が未だ果たされていないような気がしています。