チラシの裏に書かれて思ったことをチラシ裏へ書く

まとまってない、というかぶっちゃけまとめる気なく書くので適当に読んでくだしあ。


私は善人ではない。少なくとも自分ではそう思っている。私を指していい人と呼ぶ人もいれば極悪非道だの腹黒だのと呼ぶ人が居ていいと思っている。
善人というロールにも悪人というロールにも興味がないから、そういう意味でロール(役割)を演じていない部分は多い。(ネタでやることはあるが)


決して自分さえ良ければ良いという「勝てば官軍」を良しとは思ってない。基本は「共益」*1である。
相手だけ良ければとなれば、自分がどんどん磨り減るだけだし
自分だけ良ければというのは、されてイヤなのを相手にするんかという話。
実際相手が何を求めているか、どうすれば喜ぶかを自分のプラスの部分に上乗せして考慮しないといけないのは大変。


それ故にすることは、相手を知ろうとする努力と、自分さえ良ければ良いという輩を遠ざけること。


共益の前提は、相手が何を欲しがっているか、何を喜ぶかをわかっていないといけない。
そうでないと相手にとって良いことをしたはずが、逆効果だったりすることもある。
とは言っても一朝一夕でできる話じゃないから、まずはその気持ちを持つことから始めたらいいんじゃないかと思う。


で、こっちが共益のスタンスで居ても相手がそうでない(自分さえ良ければ良いスタンス)なら、その輩は遠ざけておく。
口を聞かないとか露骨にやらなくても、ちょっとヨソヨソしくするくらい。じゃないとこっちが疲れるだけ。
「共益」は用語を置き換えると、Win-Winの関係と呼ばれるけど、これを発展した考えとして
Win-Win or No Deal(両者に取ってプラスになる関係を取るか、そうでないなら関係(取引)を持たない)がある。
それを実践するようにしている。まあ徹底まではしてないけど:P*2


「勝てば官軍」を肯定しうるたった一つの理由は実行していること、結果を出していることだと思う。
すばらしい理想や構想を24時間喋るより、たった一つでも拙くても出来上がったものに及ぶことはない。
そういう意味では天才映画評論家は三流の映画監督に劣る。ただ優れた評論家はそうでない人より良い監督になる可能性が高い「だけ」だと思う。


以下私信混じりに書くが
折れること凹むことがないなんてことはない。
だから折れる時は思いっきり折れれば良い。凹めるときは思いっきり凹んでおけばいい。
凹めるだけ凹んだら後は元に戻るしかなかろうて。


ずっとウジウジしてたり、事あるごとにポキポキ折れるくらいなら、もう思いっきりヘシ折ってしまえ。
無くしたものを取り戻すことはできる。無くなったらこそ生まれる新しいものもある。
折れない硬さを追求するより、折れても折れても生えてくる強さの方がたくましい。


なので今日凹めるだけ凹んだら、明日は動き出そう。そしたら見えてくるものもあるだろうて。


*1:麻生首相の言葉から拝借

*2:徹底すると色々角が立つ