暴力団の規制

全国で暴排条例施行「異様な時代が来た」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111001/crm11100112010000-n1.htm


過剰規制の時代になってきたのかなあ、と思ってます。


先に明らかにしておくと暴力団を養護する気はないですし、関係もないです。
が、積極的にあーだこーだと取り締まるより、基本放置で一般市民に害がある、もしくは与えそうな時にしょっぴけばいいんじゃないかと。


でもここにきてやたら積極的に取り締まりを表明したってのは、「悪」が足りない日本社会の象徴かなあと思ったりします。


警察が正義の象徴であることを証明するには、対比になる「悪」が必要なのだけど
それに足りうる凶悪な犯罪者がいないので暴力団を槍玉に使っとけ、みたいな感じですかね。


アメコミヒーローの勧善懲悪シナリオと同じなのですが、かっこいい正義のヒーローが存在するためには
極悪なヒールがいないとヒーローはヒーロー足り得ないというのが演出の基本でして。
もちろんそのヒールがやられてくれる前提も必須になりますが。


山口組組長のインタビュー読む限りで「社会不適合者を囲って、社会から分離しておく」という方針は
一般市民と共益になる点だと思うし、それを切り崩して良いことは何もないと思うんですけどね。
全ての国民は善良なる一般市民として存在すべき、とか宗教じみた押し付けをしない限りは。


「負」の要素を認めたくない、綺麗でありたい風潮はあった方が良いと思うのですが
それはある一面において捨てられることなく必要なものだと思うので、それを放置こそすれ排除するのは
人道的なのかもしれないけど、非人間的な気がしています。誰だって腹は黒いと思いますよ。




警察は「一般市民を守るのが責務である」とたまに言われるのですが
そもそも犯罪者は一般市民の一部であることを彼らは認めているんでしょうかね?
偽装でも何でもなく、犯罪をしない犯罪者が一般市民と同義なので、ややこじつけ気味に言えば
警察は一般市民を取り締まってるのと言われたら何も否定できない気がしています。


最もそれってどうみても民事だろ?みたいな事案を持って来られて仲裁に入らざるを得ないとか
苦労絶えない部分もあると思うので、一律な不要論ぶち撒ける気もないですが
組織、とりわけ上層方面の「自らの存在証明のために、叩けるものはわずかなものでも叩きに入る」姿勢は
なんか現代病のように見えてしまうのですよね。


空気のような存在が案外重要な気がするのですが、それは認められないのでしょうか。